室町時代の闘茶 婆娑羅茶会
南北朝・室町時代に婆娑羅大名の間で流行った闘茶です。
婆娑羅は本当の意味はよくわからなくて、超派手、過激な振る舞いというかんじで、
wikiによるとサンスクリット語のダイアモンドという意味とも書いてあります。
千利休の茶の湯以前にできた、侘び寂びの要素が全くない非常に婆娑羅なお茶会です。
大名達は自分の領土をかけて賭博として闘茶をしたそうです。
今回はお遊びでしたが、それでも茶具を賭ける人達までいて、本気でギャンブルをしていました!
しかも椅子に座ってお茶を飲みました。当時入ってきたポルトガル人のワインパーティの影響だと聞いた事があります。
それまでの日本はお茶を人にもてなすという習慣が無かったといいます。
座敷で飲むものという固定観念は、茶の湯の影響でしょうか?
先ず本茶を飲み、それから三服飲んで一服づつ本茶か、非茶かそれぞれ当てます。
全部当てると勝ちP。五十服以上で競った事もあったそうです。
賭博所は本茶と非茶から、ポンピ所と呼ばれていました。
闘茶で領地を失う大名も少なくなかったことと、婆娑羅そのものの行為が奇抜すぎるので
足利尊氏は1336年の建武式目で婆娑羅を禁止し、ポンピ所も閉鎖されました。
そして婆娑羅の反動なのか、侘び寂びを好む茶の湯へと日本のお茶は発展していっていまいました。
私としては茶の湯は、戦国武士のように生死の境目を生きるギリギリな人達が
こころから落ち着いて楽しむことができるお茶会であって、
普段からのんき者な私には不似合な気がしています。
しかし茶の湯が確立したから、現代の日本では未だに中国から伝来した時の飲み方であった泡茶(お抹茶)が残っているといえます。
現代の中国では泡茶をいまだに飲んでいるのはごくわずかな一部の西域のモンゴルの少数民族だけです。
香港のセントラルにある茶道具美術館にはお茶の黎明期の道具が飾ってありますが、日本の茶の湯の道具でした。
もうその頃の道具は中国では見つけられにくいということでしょうか。
とにかく日本のお抹茶は、世界的に見てとても珍しい飲み方を未だにやっていると言えます。
日本人は茶の湯が発明されなかったとしても泡茶を好み続けたでしょうか?
私はお煎茶で育ったので、想像しかできません。
天草四郎スタイルの司会者と一緒に。お茶が運ばれてくる度に太鼓を叩きます。
お抹茶の闘茶はとても過酷です。お茶に酔ってもはや気持ち悪くなりそうです。
緑茶は精の強さや甘さ渋さが中国茶などに比べてとても強いことを実感。
キモいのにテンションは高まり、ウケます。
このヘベレケ感が婆娑羅ちっくといえる。

非茶と本茶を全て当てた私!がもらった景品の今回の本茶、宇治田原町の『展茗』の新茶。
ツーンをする渋みがあって、味もとても濃いです。
私は京都のお茶をあまり知りません。
ブランド力だけの京都市のお茶屋ではなくて、
直接宇治田原町に行ってお茶を飲んでみたいです。
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